蚕都物語〜たね屋金左衛門のはるかなる旅路〜

第11回サロントーク
蚕都物語〜たね屋金左衛門のはるかなる旅路〜
講師:清水たか子さん

平成23年3月5日(土)開場/午後6時 開始/午後6時半

塩尻村の清水金左衛門は、幕末から明治にかけて養蚕の技術改良、
発展に努め、その著書「養蚕教弘録」は広くヨーロッパにまで渡った。
金左衛門のひ孫に嫁いだたか子さんは、婚家に残された貴重な資料をもとに、
その人生を辿った「蚕都物語」を出版された。

概要
ゲストに清水たか子さんをお迎えし、「蚕都物語・清水金左衛門のはるかな旅路」
と題してお話しを伺いました。
参加者は32名で、サロントークの定員30名を超える盛況でした。

・150年前の上小の蚕糸業の様子
・金左衛門が養蚕に関心を持った理由
塩尻村を核として上小地区が蚕種日本一だった訳
・「養蚕教弘録」という本
・「養蚕教弘録」を訳したフランス人医師はパリ万博の立役者
・「シルク」という映画について
・幕末、佐渡からたね紙を横浜へ出荷した金左衛門(佐渡の開拓物語)
・自然界から発見した「養蚕乾湿計
・ノッポな養蚕工場建築

幕末の開国以来、輸出産業の主力として日本経済を引っ張ってきた養蚕業。
そのもととなる「蚕種」の全国有数の産地が、我が信州の上塩尻村であった。
この村のお百姓たちは、分厚い和紙に蚕が産卵した「たね紙」を背負って、
秋から冬にかけて信州をはじめ甲州武州、上州などを売り歩いた。
当時のたね屋の一人だった清水金左衛門は独自に蓄積した蚕種生産と養蚕のノウハウを
「養蚕教弘録」と題する書物にまとめ、蚕種を売りながら農家に無償で配り、
技術指導をした。この本は後にフランス語やイギリス語に訳され欧州でも読まれた。
金左衛門は空気のきれいな環境をもとめて佐渡に渡り、農家に桑の植え付けから栽培、養蚕の技術を
8年間教えた。ここでの「たね紙」は良質で、輸出先のフランス、イギリスの目効き商人から
高く評価された。
養蚕農家の蚕が病気にならずによい繭ができるようにするには、
蚕室の乾湿度が大切である。そこで、数値で管理できる「乾湿計」を発明した。
ひょんなことで、近くの神社に生い茂る「メカルガヤ」が湿度の変化でねじれることを発見した。
これが養蚕農家に大きく貢献することになった。
清水金左衛門は養蚕を科学的に深く掘り下げて研究し、失敗例も見聞きしながら、
専門の彫り師、刷り師、絵師を雇ってその技術を製本し改定を繰り返しながら蓄積。
乾湿計」発明のように、常に強い問題意識を持って仕事に専念していると
必ず解決することを教えてくれている。
約150年前の物資も乏しく、衣食住の大変な時代の実話である。
同じ地域に住む者として、見習いそして後世に伝えなければならないことである。

「蚕都物語・蚕種家清水金左衛門のはるかな旅路」 しみずたか著をご覧ください。